2015年10月2日金曜日

151002みずほ

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2015年4月30日木曜日

10分とか20分で、ホームページやサイトを作る方法を知りたいですか?

 

 

インターネットでビジネスを始めるということは

インターネットで検索する、無数のお客さんを相手にできる、ということです。

「インターネットによる集客は、無限の可能性を秘めています」それは以前から言われていましたが、

スマートフォンの利用の拡大によってさらに加速化しました。

 

 

どんな時に検索をしますか

何か知りたかったり、何かがほしかったりする時ではありませんか。

ほかの方もあなたと同じように

「何かを解決したい」

目的を持ってインターネットを検索しています。

 

 

もしその誰かの目的と、あなたが提供できる価値のあるものが一致すれば

その時点で ビジネスとして成立します。

後はお金をいただく方法を、確約するだけです。

 

 

あなたがこの、ホームページを作成することを始めた時に消費するのは

これにかける時間だけです。

パソコンがインターネットに繋がっていれば、ほかに必要なものはありません。

 

 

ちなみに私の場合なんですが

このインターネットを使うことのメリットについて気づくのに2年ぐらいかかりました。

短時間で稼ぐとか、不労所得とか

そういう情報が乱立する中で、一度インターネットを使って仕事をする ということをから離れていました。

 

ただ、

 

 

お金を払うってでも満足をさせてほしい価値を提供してほしい

私や訪問者様をふくめた誰かがインターネットを検索する行動そのものが、

このような誰かのニーズだった、と気づいた段階で

パソコンとインターネットが、私の収入をぐっと増やしてくれました。

 

 

今回作成している資料は

ホームページを作成することに特化した、とてもシンプルなもの

なので、価格は比較的安価にしてあります。

 

 

ただ資料としてのわかりやすさもさることながら

私自身の電話対応も付属させて頂いております。

ホームページやサイトが作成できなかったということは決してございません。

1つの自分のホームページを、必ず手に入れていただくことができます。

ご希望であれば、複数のホームページを持っていただくことができます。

 

 

※ご不明な点は、コメントいただければお返しいたします。

2015年4月16日木曜日

150416のにっき。

アムウェイの本音

友達を失う 言われるのが怖い 会社にお金がかかる プ申し訳ない気持ちになる プレッシャーをかけられてる気持ちになる 友達に知られたくない 知名度がない

Cmの製品を を何となく使ってるよりも
どうせなら 信じてはまっちゃったほうがいい

トレンド ブログ ごちゃまぜ 特化
専門 バ サイト ごちゃまぜ化
とにかくネタを打つ


引用です。

昨日は多くの人が、日常ですでに与えられているものを探し、そのことに感謝するということをしてくれました。

今日も引き続きチャレンジしてみましょう。

というより、毎瞬のクセにできたら、人生は確実に変わっていきますよ。

実は誰もが通常の感覚として、いまのままでは何かが足りないと感じています。

いまはまだ十分ではないという、ある種の不快感を抱えているのです。

これは我々が全体から分離して、個として存在していると思ってしまった時から持っているものです。

だから誰かにあって、誰かにないのではありません。

あなたが憧れる映画スターも、大富豪も、みんな同じ感覚を持っています。

ちょっとした秘密を教えると、どんな人もあなたと同じくらい不幸な感覚をいつも持っているということです。

なんか嬉しくなりませんか(笑)

したがって人が常日頃、無意識にやっていることは、いかにしてこの不快感から逃れるかということです。

そのために不快の理由を見つけ(本当の理由ではないのですが)、それを解決しなければと考え、幸せになるための沢山の計画を持つのです。

親しい友人と会おうとすることも、飲みにいくことも、理想のパートナーを探すことも、仕事の成功も、生活の充実も、問題解決も、なにもかもが、この普遍的な不快感から逃れようとする試みです。

ある人は目標を立て、全力で達成しようとします。

達成した瞬間は欠乏感が埋まり、不快感も束の間姿を消すからです。

しかしまたすぐに同じ状態が戻り、また新しい目標が必要になります。

多くの人生はこのように展開しているのです。

僕が呼びかけているのは、このような終わりなきゲームからの脱出です。

僕が何を言っているのか分かり始めた人は、どうぞ付いてきてください。

ただし僕があなたを救うのではありません。

新しく生きる方向を指し示すだけです。

それでもよかったら、一緒に生きましょう。

そんな感覚の中にあって、応急処置ではありますが、自分に与えられているものを見つけようとすることは役に立ちます。

2015年4月15日水曜日

150415のにっき。

引用です。

そうやって周囲を眺めてみると、与えられていることのなんと多いことか。

いま座っている椅子も、PCもネット環境も、異臭のない空気も、雨風を防ぐこの建物も、いつも当たり前になっていることが、どれだけありがたいのかを感じられるようになりました。

そうした感謝が、すなわち幸せな気持ちを運んでくれます。

ところが人は、すでに与えられていることは目に入らずに、瞬時に足りないほうに目を向けてしまいます。

たとえば椅子も、座れるだけでありがたいのに、もっとクッションがいい椅子だったら快適だろうとなるわけです。

毎朝通勤する道の街路樹も、緑の安らぎを与えてくれているのに、見慣れた平凡な風景に見えて、どこか遠くに行ってみたいと感じます。

なぜ我々は、ないものばかりに目がいって、いますでに幸せであることを見ようとしないのでしょう。

それはいますでに満たされていることを認めてしまうと、それ以上を求める努力がなくなり、自分が成長しなくなると感じるからです。

より多くを得ることが幸せと成長につながると信じているのです。

たしかにそんな生き方も悪くはありません。

でもいつ寛ぐのでしょう。

何が達成されれば、あなたは寛ぐことが出来ますか。

それまで幸せはお預けですか?

でも真実は、

あなたがすでに持っている豊かさに気付き、それを楽しみだしたなら、それがさらに多くのものをもたらし、ますます豊かになっていきます。

皮肉なことに、いま自分が豊かだという風に思えていればいるほど、目の前にチャンスと、それに必要な人が現れてくるのです。

理屈は知りませんが、僕自身はそのようにして何度も苦難を乗り超えてきました。

いまは絵に描いたような幸せです。

だからたくさんのものに恵まれ、恵まれているからまた、新しい人や出来事を引き寄せるのだと思います。

成長するために、いまはまだ満足をしないと決めつけないでください。

満足してしまうと、入ってくるものも入ってこなくなると怖れていますが、それは真逆です。

しかも本当のことを言えば、誰も成長なんかしません。

すでにパーフェクトだからです。

成長は幻想です。

いますぐ幸せになるために、与えられているものを数えてみましょう。

言い尽くされたことですが、やはりここがシャバを快適に生きる基本だと思います。

2015年4月14日火曜日

ずっと伝えるのが下手なことがコンプレックス。イラッとし、イラッとさせてしまう。

なんでなんだろう。

ものすごく丁寧に、わかりやすく、伝えているつもりなんだけど。

 

相手がイラッとしていると、聞く方もイラッとする。

オレが先にイラッとしたから、相手もイラッとしたのか?

逆か?

 

どっちにしろ。

イラッとさせることも。

イラッとすることも。

プラスには働かない。

んー、ものすごく難しく感じる。

解決策なし。笑

2015年4月13日月曜日

150413のにっき。その2。

150413のにっき。

引用です。

端的に真実を伝えておきます。

たとえどのような評価や批判があろうと真実は変わりません。

あなたは現象を生み出している源です。

あなたの意識によって現象が認識され、この世に出現します。

あなたは意識そのものであり、それ以上でも以下でもありません。

現象の中には思考も含まれます。

宇宙理論も、神も、悪魔も、天使も、ハイヤーセルフも、目覚めも、悟りも、サイキックも、前世も、魂も、チャネリングも、霊言も、全部思考の産物です。

僕が語る言葉はもちろん、釈迦が残した言葉たちさえも、すべて思考の産物です。

ただ釈迦たち覚者の場合は、思考を使って、思考を超えた真理を指し示そうとします。

言葉は全て思考ですが、思考で受け取る相手には、唯一のコミュニケーション手段となるからです。

だから僕は何度も、すべては方便だと繰り返してきたのです。

言葉を持ち運んではいけません。

たとえ釈迦だろうと、その権威やイメージに惑わされてはいけません。

ましてや僕ごときに縛られるなど、もってのほかです。

釈迦の遺言は、私の言葉を信じろではなく、その反対で、私の言葉を鵜呑みにするのではなく、

「自らを拠り所にせよ」

というものです。

なぜなら、自らが現象の源泉だからです。

彼は自らを拠り所にするための修行法(四念処)を説いていますが、それが継承されて禅や止観瞑想として完成されていきます。

仏教用語を使うと難しく見えますが、真実の自己というものが、目覚めた純粋意識だという単純な真実を思い出すということにすぎません。

僕が極力仏教用語を使わずに法を説いてきたのは、難解さは同時に権威を想起させ、自らの真実を見えなくさせてしまうからです。

真理は拍子抜けするくらい単純です。

当たり前の言葉で今日の記事を締めくくりましょう。

あなたでOK!

それでいいのだ!

2015年4月11日土曜日

150411のにっき。

>阿部さんは「悟りたいと思うのも自我からのもの」と、おっしゃってますよね?

>全体の思いなのか自我の思いなのか見分けるポイントはありますか?

全体の境地から見れば、自我さえも全体から生じています。

したがって自我の思いは、そのまま全体の思いなのです。

このようなブログに興味を持つのは、あなたの中の全体意識がそろそろ元に戻りたいと言っているからです。

無上甚深 微妙法(むじょうじんじん  みみょうほう)

百千万劫 難遭遇(ひゃくせんまんごう  なんそうぐう)

我今見聞 得受持(がこんけんもん  とくじゅうじ)

願解如来 真実義(がんげにょらい  しんじつぎ)

「真理は、永遠とも言える長い時を経ても出会うことは難しい」

と言っているのですが、出会うのが難しいのは、その情報が秘密にされているからではなく、受け取る側にその準備ができていないからです。

そのようにして見れば、いまあなたが真理に関心を持ち始めたことが、どれほど貴重なことか、そしてここまで来るまでに、どれほどの苦難を経験してきたことか、そんな自分をまずは誉めてあげるのがいいと思います。

そしてあなたが目覚めた時、そのあまりの単純さに言葉を失うことでしょう。

さらにはこうも思うはずです。

「これは気づかないよなァ」

それくらい意表を突いた場所にあるので、よくも見つけたものだという変な感動もあります。

僕は断言します。

いまはまだ、自分の目覚めが途方もなく感じる人も、すでに直前までやってきていると。

そして、このことがどれくらい凄いことか!

ふ〜

今日はこれくらいにしておきます。

2015年4月10日金曜日

150410のにっき。その2

阿部さん こんにちは。

阿部さん、もし「私」がいないのならば、「阿部さん」自身も居ないと言うことになりませんか?

ひよどりさんじゃないけれど、その今日の記事を書いている人は誰?

このコメントを書いているのも誰?という感じです。

思考と自我の違いもわかりません。

Posted by エコル at 2015年04月09日 15:09

同じような質問がいくつか来ていました。

そう思って当然です。

「あなたはいない」と言った時、あなたは透明人間だといっているのではありません。

現象がないと言っているのでもありません。

あなたは記事を読み、言葉を解釈し、それに対してコメントを書きました。

記事を読もうと決めたのは誰でしょう。

それは「私だ」というかもしれません。

その私とは誰でしょう。

私とは、私以外の全てとは異なる、単独に分離した存在です。
そのような感覚があるので、その私が考え、そして行為していると思っています。
考えや、意思や、衝動や、行為は、私がやっているのではなく、単に起きている現象です。

やっているのは全体であり、その全体こそが「あなた」です。

現象というドラマは、ただ起きていて、あらゆる出演者もあなたそのものであり、ドラマ自体があなたの現れです。

その出演者の一人である「私」と同化すると、ドラマが深刻に見えてきます。

反対に、全体であるところの自分を知りながらドラマに出演していると、そのドラマはいついかなる時も完璧だということが分かります。

これで答えになっていますか?

きっと何かのタイミングで、何を言っているか分かりますよ。

決して難しい話ではなく、あまりにも近すぎて見えない何かについて話しているからです。

次に、
思考と自我の違いについてですが、思考を自分が考えていると思っているのが自我です。

自我から離れても思考は湧いてきます。

でもたいていの場合は「自分が考えている」と思っているので、その場合は、「思考=自我」という言い方ができます。

阿部さんへ・・・忙しくなければ、お返事ください(笑)

>「あなた」はいないのです。
>事はただ起きていて、そこに同時発生的に思考が生じて、それが自分がいるという錯覚を作り出しているにすぎません。

ここでの「あなた」はいない・・・の意味合いですが、私は存在が自我を体験しているだけで、人意識が終れば 自分という独立して思える精神も終わると理解しています。

かいま見た存在がホンモノであり 今体験している意識は存在が生み出しているイットキの夢・・・みたいな理解です。

ただ 阿部さんの文面を何度も 読みますと、どうも そうではなくて、思考が生じるが故に、自分という自我が出来上がり、それ自体が錯覚であり 今も
自分はいない状態にも関わらず、頭脳が 思考が それを認めてしまっているだけ・・・っていう こうした理解なのでしょうか?

Posted by アゲハ・・・はい、質問です。(まじ) at 2015年04月09日 15:36

あなたが真理の一瞥をした人だというのはわかります。

自分はいませんが、思考や自我を認識している存在はあります。

それはある種の意識であり、全体に浸透している唯一無二の存在です。

あなたがいう「存在」と同じものです。

ですから同じことを言っています。

まだ他にも取り上げたい質問はあるのですが、今日はこの二つにさせてください。

150411のにっき。

引用です。

昨日の記事の中で、何も成し遂げる必要はないと書きました。

この文章の意味をもう少し説明したいと思います。

通常人は、「自分」が何かをしていると感じています。
ことを起こしているのは自分だと思っているのです。

僕の講演に何度も足を運んだり、書籍を読んできた人は、

「いや、そんなことはない。ことは自ずと起きているのだから」

と言うかもしれません。

でも、ちょっと待ってください。

あなたは本当にそのことを理解していますか?

もしかしたら、なんとなくそう思うものの、実は相変わらず「自分」が何かをやっていると思っていませんか。

自我は実に巧妙で、単なる知識を、まるですでにそうなっているかのように振る舞う名人です。

いいですか、「あなた」はいないのです。
事はただ起きていて、そこに同時発生的に思考が生じて、それが「自分」がいるという錯覚を作り出しているにすぎません。

「いないあなた」が何を達成しようと言うのでしょう。

僕が何を言っているのか、皆目見当がつかないという人もいるでしょう。

トンチンカンな話をして煙に巻いているように思う人もいるかもしれません。

もし話の内容が多くの人に理解されるのなら、それは真理ではありません。

なぜなら多くの人は夢の中にいて、その人たちに理解されるということは、各自の夢を強化しているだけだからです。

ですから、多くの人に支持されるというのは、必ずしも自慢できることではありません。

老子が言うように、

真理は人に笑われる

のです。

少し急ぎすぎました。

ゆっくり話を展開するとしましょう。

あなたを愛しています。

だってあなたは僕自身だから。

今日はあなたの使命を横に置いて、ゆっくりお茶でもしませんか。

事は起きています。

あなたには何一つ達成すべきことも、果たすべき責務もありません。

喫茶去

ま、お茶でもいかが。

150410のにっき。

引用です。

今日のあなたは、今日が人生の結果だと思って生きていますか。

それとも今日という日は、この先に訪れるであろう、より素晴らしい日々のための布石でしょうか。

断言しますが、そんな日々は訪れません。

その日もいまと同じあなたがいて、たぶんその時も、

より素晴らしい未来のために何かしていることでしょう。
この先に、いまよりもっと祝福されて満たされた日々が待っているという幻想は、根深いものがあります

多くの人は、過去の自分を抱えながら、未来への期待を生きているように見えます。

もちろん、そんな生き方が悪いのではないですが、ハツカネズミが丸い輪をくるくる回しているのと同じで、

どこにも行きつかないことを知ってください。

それを知った上で輪っかを回すのも、あるいはその輪っかから降りるのも、どちらもあなたの選択です。

でも輪っかだと知らずに回し続けていたら・・・そう思って今日の記事を書きました。

2015年4月9日木曜日

150409のにっき。

引用です。

向禅師はよく、「言葉の前にある状態」という言い方をします。

それは思考が湧く前の存在という意味です。

自然と。
というのは、こういうことかもしれません。

人は、自分が思考と同化していることに無自覚なまま、思考が湧く前の存在を思考で捉えようとします。

思考で、無思考をとらえようとしているのです。

思考が世界を作り、その世界の中を思考の自分が生きている、これがほとんどの人の日常です。

ここに寄せられるコメントにも、記事に対する是非や判断がありますが、それなどはまさに思考の権化なので、それに対するコメントは書きません。

お互いに思考まみれになってしまうからです(笑)

思考は道具として必要ですが、ここで伝えたいのは、思考を使いながらも思考以前の状態を自覚していられるかということです。

「ただ在る」という状態を、どれくらいの割合で過ごしているか。
いまにいるというか。
作為にひたるというか。
その時間は、リラックスしないでいられないのです。

その時は、不安や、何かを裁こうという気持ちから解放され、とてもリラックスした状態です。

深刻さが消えて気楽です。

凄く単純なことです。

単純すぎて思考は面白くないので、あまり重要には感じません。

でも実際には、生きる上で最も大切なポイントであり、それが「いまを生きる」ということです。

この状態は、普段の生活の中で、誰にでも不意に訪れることがあります。

ふと思考が止んで、いまここにいる瞬間。

あまりに当たり前な感覚なので見過ごしてしまうことでしょう。

重要な気がしないからね。

ところが

思考が重要視しないこの時間こそが、大いなる気づきへの入口なのです。
これが「無用の用」です。

一応伝えておきますが、だからと言ってボケ~っとしている時間ではありません。

ボケ~っと思考の中にいることもよくあることです(笑)

そうではなく、ただ在る状態です。

その時は、感性が研ぎ澄まされ、イキイキとした感覚があります。

執拗に裁こうとするあなたは消えています。

そしてあるがままの現象だけがあるのです。

なんとなく分かりますか?

秘訣はリラックスすることです。

人生は大騒ぎするようなものではないし、深刻さもいりません。

どこにも向かっていないし、成し遂げなければならないこともありません。

ただ起きることが起きて、時が来れば死んでいきます。

えっ?それじゃつまらないって?

そう、思考はこういうのが嫌いだからね。

どうですか、これからは思考君の言葉に説得されないで、僕と一緒に気楽にいきませんか(^^)

皮肉なことに、そこにあなたが求めていた全てがありますよ。

2015年4月6日月曜日

150406のにっき。

現在終わったこと。

  • 個別の作成
  • トップページ 5割

 

 

今後やっていくこと。

  • トップページ充実→逃がさない
  • 表の方向性
  • メニューの充実

2015年4月5日日曜日

鮮魚を内陸・太平洋圏へ。新潟県上越市から、鮮魚を卸す。

次の県へ、卸すことができます。

  • 長野県
  • 群馬県
  • 栃木県
  • 岐阜県
  • 山梨県
  • 埼玉県

 

配送は、クロネコヤマトです。

1日目の午前受注なら、遅くても2日目朝には届きます。

冷凍での配送を予定します。

卸せる鮮魚については、下記のメールフォームより、お問い合わせください。詳細な連絡先を、ご返信いたします。

150405のめも。

引用です。


DELL 極薄ベゼル13.3型ディスプレイを搭載した「XPS 13」

  2015/01/07  

DELL 極薄ベゼル13.3型ディスプレイを搭載した「XPS 13」を正式発表しました。正直とんでもないノートパソコンです。

なんとベゼル幅が5.2mmと極薄ベゼルとなっており、11型デバイスの大きさで13.3型液晶を搭載しています。DELLいわく世界一小さい13インチノートパソコンとの事です。媒体素材にはカーボンファイバーを採用し、1.18kgと軽量で剛性も確保しています。またデザインも高級感がありかっこいいですよね。まずはスペックを見てみましょう。

 ディスプレイ3200×1800(最大)  CPU Intel Core i3/i5/i7
(Intel HD Graphics 5500) ROM 512GB SSD(最大) RAM 4/8GB OS Windows 8.1 バッテリー 12~15時間(最大) サイズ 304×200×9~15mm 重量 1.18kg/1.26kg(タッチモデル) その他 USB3.0×2 SDカードスロット
 Bluetooth Mini Displayport

紹介するとき気づいた流れ

楽しむ

紹介できるようになる

紹介する人を絞る

アップを見つける 紹介する。なにもわからない、嫌悪している人の立場で

アップに会ってもらう

今のオレは
失業保険のこり70日。
安定収入が欲しくて、模索。
虎石社長にあった翌日。

2015年4月4日土曜日

150404のにっき。その2。

引用です。

制限のある人間としてこの世に登場させられ、いろいろなことを体験することが目的であるなら、気づかないままドタバタ喜悲劇をくり返して死ぬ、、
これで目標達成~!・・・なのでは?


目標とは誰の目標でしょう。

純粋意識(本当の自分・大いなる意識)は、なんの目的も目標もなく、ただいまここに現れています。

野原に花が咲くように、それはただ在るのです。

たしかに、なぜこの世に生まれて生きているのかということへの答えとして、大いなる意識が「あなた」という人生を通して、「あなた」が経験するすべてを味わってみたかったからだという言い方をすることがあります。

大いなる意識は野原の花であることを経験したいから、花が咲いているという説明です。

これは間違いではなく、結果から見た時の真実です。

しかし大いなる意識側から見れば、

そのような意図もなく

ただそのようにして無目的にことが起きているだけです。

無目的であるがゆえに戯れであり、この森羅万象をリーラ(神の戯れ)と呼ぶ所以です。

150404のにっき。その1。なんで悟りたい?ゲーム終わっちゃうじゃん

昨日の記事には、さとってもさとらなくても同じだと書きました。

さとりとは、自我側から見た現象です。 自我が存在することで純粋意識が隠されています。

ところがその自我が純粋意識を求める。
それがさとりを目指すということです。

もし純粋意識(本当の自分・真実の存在)を感得しないまま肉体を去れば、人生で何を得たつもりになっても、それらはすべて自我が織りなす夢を見ていたのと同じです。
夢は幻想であってリアリティではありません。
幻想は100万回繰り返してもリアリティにはなりません。
ですから生きながらにして目覚める(さとる)ことは最も大切なことです。

しかし繰り返しますが、それはあくまでも自我側から見た経験であり、リアリティであるところの純粋意識(本当の自分)にしてみれば、たとえ100万年間、

自我という雲に覆われても、まったく影響されずにいまここに在りつづけています。

したがって、さとりを見失うこともなく、さとることもないのです。
どっちだって同じです。

2015年4月3日金曜日

150403のにっき。

オレは氷。
さとりとは、氷が溶けること。

引用です。

今日は、「さとり」の話。

時々、「さとった○○さんは・・・」というような言い方をする人がいます。
そのたびに、そうじゃないんだよなあって思うのですが、いちいちこだわって解説するのもキリがないので、大抵はそのままにしています。

たぶん、「私はさとっている」なんて公言する人はいないと思います。
いるとしたら、何かの説明上そのような比喩を使うか、あるいはその人自身が完全にパラノイヤにあるかです。

ちょっと整理してみます。
まず、真実の立場から言えば、さとりなどありませんし、さとった人もいません。

同じような類の言葉を聞いたことがあるんじゃないですか?
「さとりもなければ、さとった者もいない」
どういう意味か分かりますか?

この言葉は真実の立場からのものです。
真実の立場とは、自我の分離幻想が消えた立場のことです。

もともと真実はそのようにして在るので、さとりもへったくりもありません。

さとりとは、幻想側から見た幻想が消えた状態のことです。

幻想が想うのですから、さとりは幻想による幻想です。
ましてや、さとったなどという個人も存在していません。

個人というのも分離幻想であり、分離幻想自身が、分離がなくなることをさとりと呼んでいるわけです。

なんとなくわかりましたか?

さとりとは、

まさにいま分離幻想が消えて、
(氷が溶けて)
全体意識として存在
(水になる)

している状態です。

そのような状態にいた経験があるというのは、分離意識が持つ記憶に過ぎません。
この世にいるのは、さとった人と、さとっていない人ではなく、

まさにいま、自己の本質の状態(全体意識)にあるか否かの違いだけ

です。

「こんな人」と断定できる固定した者などいません。
すべては流れの中にあり、まさに「いま」どうなのかが問われているだけです。

以上、さとり講座でした。

2015年4月2日木曜日

150402のにっき。

引用です。

よく人は、比較することの愚を口にします。

僕も同感です。
比較から劣等感が生まれ、自分を認められない原因を創り出すからです。
それでも人の中にある比較する心は根強いものがあります。

その際たるものが、神仏という存在へのイメージではないかと思います。
人は昔から、人間が単に肉体だけの生き物ではないことを直感していました。
肉体を超えた何かがあると感じていたのです。
それとともに、この世を創り出している壮大な力をイメージしました。
それが神と呼ばれる存在です。

さてここからが比較の話ですが、人はネズミや犬や猫などの動物を見て、人間よりも低い存在だと感じました。
昆虫も、植物も、人間より下等な生き物だと信じたのです。
実際には上も下もなく、すべては「ひとつなる意識」の表れであり、最近の言葉で言えばワンネスが真相です。
ひとたび下等を作り出せば、その対極として上等が生まれます。

人間は、創造主である神は人間よりはるかに上等な、とてつもない存在だとイメージしたのです。

もし動植物に対して自分たちと対等な命だと見ることができたら、そのような神のイメージを作り出すこともなかったことでしょう。
これが比較という幻想の、最も極端な事例です。
そのようにして作り出した神を、人は怖れ、そして敬いました。

いまだにそのように感じている人たちが大勢います。
というより、僕が時折、「神に蹴りを入れてやった」なんて話すと、心配げに僕を見る人たちがいます(笑)
バチが当たると思っているのでしょうか。

誰が誰にバチを当てるというのでしょう。

そんな迷信にハマった人たちが、真顔で「ワンネス」を口にするのはどういうことでしょう。
この世には一切の上下は存在していません。
ひとつなる命(意識)が、それぞれの個性をとおして現れているだけです。
そのような意味から言えば、偉大な神など存在しません。
確かに惑星の運行や森羅万象を司る壮大な知性はあります。
科学者がサムシング・グレイトと呼ぶものです。
でも

それさえも、あなたという存在の現れです。
ただ、あなたが在るだけです。
すべては「あなた」です。

「ワンネス」という言葉が、いかに実感なく使われていることか。
こうしてあらゆる真実の言葉が概念化していくのです。
この世には、あなた以上の人間も、あなた以下の人間も存在していません。
人間だけでなく、あらゆる事象は、ひとつなるもの(あなた)の現れです。
まずは、

神という幻想から自由になること。
神とは、人間の比較する心が作り出したイメージだということを理解すること。

今日のこの記事に違和感を持ったとしたら、それくらい誰かから何かを刷り込まれてきたということです。
そしてそれを鵜呑みにしてきました。
ちょうど自分にはまだ何かが足りないということを鵜呑みにしてきたようにね。

2015年4月1日水曜日

150401のにっき。その2

旅行にいく。海外
アメリカ
カナダ
オーストラリア
フランス
ドイツ
イタリア
スイス
フィンランド
スペイン
ギリシャ
ベネツィア
フィレンツェ
バスケ勝つ
歌うまくなる
静岡に住む
千葉に住む
湖の近くに住む
ステンの鍋を揃える
Macを買う
車。ロードスターとキャリア(モーター付き)
こども
結婚

150401のにっき。

引用です。

今回は僕がこれまで3年近くビジネスを実践してきた中で、作業効率を上げる上で非常に重要だと感じた40点を紹介していきます。
ぜひこの40点を必ずチェックして、今の自分の作業状況の改善に役立てて頂ければ幸いです。

1.時間管理編

1-1.開始時間と終了時間をチェック
1-2.徹夜はしない
1-3.趣味の時間は決まった時間確保する 1-4.通勤時間も作業を進める
1-5.お風呂、トイレ、食事の時間も勉強に利用する
1-6.まずは”やめる”癖をつける
1-7.休憩と作業の時間をルーチン化する
1-8.インプットは可能な限り隙間時間にて行う事
1-9.動画と音声は再生速度を上げる
1-10.作業開始前に締め切りを決める
1-11.昼食後眠くなるのなら昼食を抜く
1-12.眠くなったらガムやコーヒーで目を覚ます
1-13.仮眠をとる時は椅子の上で寝る
1-14.寝溜めは逆効果
1-15.朝型人間になる

2.作業環境編

2-1.作業に必要の無いものを身の回りに置かない
2-2.作業ツールは最低限のものを揃える
2-3.自宅ではデュアルディスプレイを使う
2-4.少しでも無駄な時間を省くための努力をする
2-5.喫茶店やコワーキングスペースを利用する
2-6.テレビに無駄な時間を費やさない
2-7.メールチェックする時間を決める
2-8.ブックマークはUSBに移動する
2-9.検索エンジンはGoogleを利用する
2-10.メールはGmailか独自ドメインメールを利用する
2-11.特定サイトへのアクセスを禁止する
2-12.机の上は必ず綺麗に整頓しておく

3.意識管理編

3-1.目標を紙に書き出す
3-2.目標を定期的に読み返す
3-3.1日の終りに今日1日の成果を振り替える
3-4.目標を出来るだけ多くの人に共有する
3-5.短期目標と長期目標を設定する
3-6.プライベートとビジネスそれぞれの目標を設定する
3-7.他人と自分を比較しない
3-8.仲間、競争相手を作る
3-9.一喜一憂しない安定した心を持つこと 3-10.音声教材によってモチベーションを保ち続ける
3-11.モチベーションダウン時の復活の儀式を用意する
3-12.まずは1週間作業を継続する
3-13.あの人だったらどうするか?を常に考える

2015年3月31日火曜日

150331のにっき。

引用です。


人生が、何から何まで

自作自演の独り舞台

だったと気づいたとき、人は背負っていた重荷を下ろします。
あらゆるルールを決めたのも自分だし、良かれと思って作った枠(わく)が、どれだけ自分を縛り付けてきていたか。

しかもそれが、誰のためにもなっていなかったなんて。

これが、目覚めの瞬間に起きることの一つです。
「な~んだ、そうだったのか」と。
そして自由の何たるかを知ります。

自由とは、自分自身からの自由だった

のです。
どちらにせよ、僕たちが自由であることに変わりはありません。
何をしてもいいし、しなくてもいいんです。
目覚めようと目覚めまいと、その時々で一番いいと思ったことをやっていくことに変わりはありません。

しかし目覚め前は、

人の目の中に生きている

ので、自分の思いから行動を選ぶことより、人からどう思われるかや、べきだ、ねばならないといった正しさを基準に人生を選ぶシーンが多くなります。
それにしたって自分が一番いいと思ったことをやることに変わりありませんが、選ぶ基準が自分の思い以外にある場合、満足する人生を歩むことはできません。
よく言われるように、

苦しみを作り出しているのは自分の考え方です。
考え方は変えることができます。

だからこんなブログでも、繰り返し読むことで何かに気づき、楽になったといってくれる人がいるのです。
そして楽になった分だけ、皮肉なことに人生がスムーズに流れ始めます。