2015年4月9日木曜日

150409のにっき。

引用です。

向禅師はよく、「言葉の前にある状態」という言い方をします。

それは思考が湧く前の存在という意味です。

自然と。
というのは、こういうことかもしれません。

人は、自分が思考と同化していることに無自覚なまま、思考が湧く前の存在を思考で捉えようとします。

思考で、無思考をとらえようとしているのです。

思考が世界を作り、その世界の中を思考の自分が生きている、これがほとんどの人の日常です。

ここに寄せられるコメントにも、記事に対する是非や判断がありますが、それなどはまさに思考の権化なので、それに対するコメントは書きません。

お互いに思考まみれになってしまうからです(笑)

思考は道具として必要ですが、ここで伝えたいのは、思考を使いながらも思考以前の状態を自覚していられるかということです。

「ただ在る」という状態を、どれくらいの割合で過ごしているか。
いまにいるというか。
作為にひたるというか。
その時間は、リラックスしないでいられないのです。

その時は、不安や、何かを裁こうという気持ちから解放され、とてもリラックスした状態です。

深刻さが消えて気楽です。

凄く単純なことです。

単純すぎて思考は面白くないので、あまり重要には感じません。

でも実際には、生きる上で最も大切なポイントであり、それが「いまを生きる」ということです。

この状態は、普段の生活の中で、誰にでも不意に訪れることがあります。

ふと思考が止んで、いまここにいる瞬間。

あまりに当たり前な感覚なので見過ごしてしまうことでしょう。

重要な気がしないからね。

ところが

思考が重要視しないこの時間こそが、大いなる気づきへの入口なのです。
これが「無用の用」です。

一応伝えておきますが、だからと言ってボケ~っとしている時間ではありません。

ボケ~っと思考の中にいることもよくあることです(笑)

そうではなく、ただ在る状態です。

その時は、感性が研ぎ澄まされ、イキイキとした感覚があります。

執拗に裁こうとするあなたは消えています。

そしてあるがままの現象だけがあるのです。

なんとなく分かりますか?

秘訣はリラックスすることです。

人生は大騒ぎするようなものではないし、深刻さもいりません。

どこにも向かっていないし、成し遂げなければならないこともありません。

ただ起きることが起きて、時が来れば死んでいきます。

えっ?それじゃつまらないって?

そう、思考はこういうのが嫌いだからね。

どうですか、これからは思考君の言葉に説得されないで、僕と一緒に気楽にいきませんか(^^)

皮肉なことに、そこにあなたが求めていた全てがありますよ。

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