昨日の記事には、さとってもさとらなくても同じだと書きました。
さとりとは、自我側から見た現象です。 自我が存在することで純粋意識が隠されています。
ところがその自我が純粋意識を求める。
それがさとりを目指すということです。
もし純粋意識(本当の自分・真実の存在)を感得しないまま肉体を去れば、人生で何を得たつもりになっても、それらはすべて自我が織りなす夢を見ていたのと同じです。
夢は幻想であってリアリティではありません。
幻想は100万回繰り返してもリアリティにはなりません。
ですから生きながらにして目覚める(さとる)ことは最も大切なことです。
しかし繰り返しますが、それはあくまでも自我側から見た経験であり、リアリティであるところの純粋意識(本当の自分)にしてみれば、たとえ100万年間、
自我という雲に覆われても、まったく影響されずにいまここに在りつづけています。
したがって、さとりを見失うこともなく、さとることもないのです。
どっちだって同じです。
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