2015年4月3日金曜日

150403のにっき。

オレは氷。
さとりとは、氷が溶けること。

引用です。

今日は、「さとり」の話。

時々、「さとった○○さんは・・・」というような言い方をする人がいます。
そのたびに、そうじゃないんだよなあって思うのですが、いちいちこだわって解説するのもキリがないので、大抵はそのままにしています。

たぶん、「私はさとっている」なんて公言する人はいないと思います。
いるとしたら、何かの説明上そのような比喩を使うか、あるいはその人自身が完全にパラノイヤにあるかです。

ちょっと整理してみます。
まず、真実の立場から言えば、さとりなどありませんし、さとった人もいません。

同じような類の言葉を聞いたことがあるんじゃないですか?
「さとりもなければ、さとった者もいない」
どういう意味か分かりますか?

この言葉は真実の立場からのものです。
真実の立場とは、自我の分離幻想が消えた立場のことです。

もともと真実はそのようにして在るので、さとりもへったくりもありません。

さとりとは、幻想側から見た幻想が消えた状態のことです。

幻想が想うのですから、さとりは幻想による幻想です。
ましてや、さとったなどという個人も存在していません。

個人というのも分離幻想であり、分離幻想自身が、分離がなくなることをさとりと呼んでいるわけです。

なんとなくわかりましたか?

さとりとは、

まさにいま分離幻想が消えて、
(氷が溶けて)
全体意識として存在
(水になる)

している状態です。

そのような状態にいた経験があるというのは、分離意識が持つ記憶に過ぎません。
この世にいるのは、さとった人と、さとっていない人ではなく、

まさにいま、自己の本質の状態(全体意識)にあるか否かの違いだけ

です。

「こんな人」と断定できる固定した者などいません。
すべては流れの中にあり、まさに「いま」どうなのかが問われているだけです。

以上、さとり講座でした。

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