「悟前の修業」はいらない。
「悟後の修業」が大切だ
とあります。
「悟前の修業」とは、悟るための修業のことです。
一般に修業とは悟りを目的にしていると信じられていますが、そんなものはあり得ません。
なぜなら、厳密に言えば「悟り」そのものが存在していないからです。
このことも何度か指摘してきましたが、今日はもう少し詳しく書いてみます。
なぜ悟りが存在しないか。
それは、
悟りとは自我側から見た自我からの解放
であり、
そもそも自我そのものが錯覚だからです。
自我とは意識の影です。
影が影を消し去ろう
というのが「悟前の修業」(悟りを目的にした修業)です。
? 影が影を消し去る。自我が自我を消す。
僕の話を理解すれば、大方の修行者や修行僧たちは時間を短縮できます。
できたら日本中の禅寺を回って講演したいくらいですが、それは僕の役目ではないし、彼らも聞く耳を持たないから止めておきます。
いままでも、いまも、そしてこれからも、開かれた意識だけが存在します。
例外なくすべての人の存在の実相は、開かれた意識です。
マインド(思考)が何を言おうが、究極のリアリティは変わりません。
あなたは最初から救われているし、これからもそうです。
僕の話に関心を持っているあなたには真実を伝えておきます。
「悟後の修業」は極めて重要です。
人生でやるべきことは、これしかないというくらい重要です。
その基本レッスンが瞑想であり、坐禅です。
現代人に一番適した瞑想は、この数年間奨励し続けてきましたし、さらには坐禅を加えることの効果性も説いてきました。
この活動は、この先も変わりようがありません。
さてここに問題が残ります。
というのも、多くの人は
自分は悟っていないと本気で信じている
ので、「悟後の修業」は悟ってから始まると思っているのです。
僕が口を酸っぱくして、「あなたはすでに悟っている」と言っても、こんな自分が悟っているわけがないと感じています。
まずはこんな酷い自分を改善するのが先決だというわけです。
そのような人は、
悟りとは瞬間的な光の体験であり、一切の苦悩から解放されて、自我の影響を受けなくなることだ
と想像しています。 確かに、何気ない瞬間に、いきなり自我(影)が消えて、真の実相を垣間見ることはあります。
影から見ればそれが悟りのように見えますが、何度も言うように影は実体ではないので、影があろうとなかろうと、あなたは悟っているのです。
? 影など最初からないことに気づく
? 悟っていることに気づく
瞬間的な体験は、あってもなくても本質には影響ありません。
ですから、そんな期待は早く捨てましょう。
期待は自我(影)を強化します。
期待は「いまここ」から離れて、未来という幻想にあなたを連れていきます。
もうすでにあなたは「いまここ」にいることを知ってください。
そして瞑想習慣を持ちましょう。
もちろん僕が奨励する瞑想が全てではありません。
あなたが気に入ったものがあればそれでいいです。
「悟前の修業」と「悟後の修業」の違いは分かりましたか?
前者は目的志向であり、
後者はあるがままの自分に寛いで
います。 やることは同じでも、この違いは極めて大きいのです。
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